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オランダ通詞と蘭学

オランダ通詞と蘭学

 江戸時代を通じて150人余の医師が出島にやってきたが、その中で歴史的に著名な人は10人ほどでした。特に優秀だったケンペル、ツュンベリー、シーボルトを『出島の三学者』と呼ばれています。
 この出島商館医の伝えるヨーロッパの新しい医学知識は、オランダ通詞(通訳官)によって日本国内に伝えられていきました。医学だけでなくヨーロッパの科学や学術的な思考方法などのすべてが流人しました。やがて、それらを総称して『蘭学』と呼ぶようになりました。
 オランダ商館長が毎年1回(後年には五年に1回となる)江戸の将軍に謁見する江戸参府には随員として商館医も同行しました。江戸や途中の大坂、京都の宿舎には蘭学者や医師が寄り集って直接オランダ人に医学や学術についての質問をしてヨーロッパの新しい知識を得ていました。この結果、江戸、大坂、京都など日本の中心都市でもこの学問が盛んになっていきました。